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«華月»【133】心のボーダーラインを越える前に。

今日は「いじめ」について、僕なりの視点で話してみようと思う。

 

大学時代、いじめについて論文を書いたことがあるのですが、

 

その時も今も変わらず感じてるのは、

 

人が人である限り、いじめって完全にはなくならないってこと。

 

人の痛みをどれだけ理解できるかって、

 

共感力や経験値によって全く違う。

 

同じように、「誰かより上に立ちたい」っていう優越感とか自己顕示欲も、人によって違う。

 

嫌いだと思えば攻撃してくる人もいるし、

 

特にまだ精神的に未熟な若い時期には、そういう傾向が強く出る気がする。

 

「嫌いなら放っておけばいいのに」って思うけど、

 

攻撃してくる側は、自分の感情を抑え込めないのでしょうね。

 

そして、嫌われた側は理由を知ろうとして悩み続けてしまう。

 

特に学校という閉じた世界にいると、それが“すべて”のように感じてしまうからなおさらかも。

 

でも、大人になってもいじめをする人もいるよね。

 

そういう人を見ると、「身体は大人でも、心はまだ子どもなんだな」って思う。

 

いじめられる側の絶望って、本当に当事者にしかわからない。

 

どれだけ周りが心配しても、本人の中にある“限界のライン”を越えてしまったら、言葉は届かないよねって。

 

僕も時々、鑑定で「いじめられてる」という相談を受ける。

 

そのときは、相手の魂の性質や今の周波数を視て話すけど、

 

心にボーダーラインがある。

 

そのラインを越えて“堕ちて”しまうと、

 

高次元の存在からのサポートも届きづらくなる。

 

それくらい、周波数が落ちてしまうと、危険な状態だって思う。

 

だから、「逃げる」っていう選択肢は絶対に必要だと思っています。

 

無理して立ち向かう必要なんてない。

 

他人を変える事が、どうしても難しい事だから。

 

まずは、心が壊れる前に“その場所から離れる”ことが何より大事。

 

戻れなくなる前に、逃げれる環境にして欲しい。

 

大事なのはその後、周波数が戻ってきたときに、

 

どうやって立ち上がるかだと思ってる。

 

僕が「大丈夫かな…」ってどれだけ想っても、

 

どうにか出来る訳じゃないんだけど。

 

でも、どうか自分のことだけは、諦めないでいてほしいなって思う。

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