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終戦記念日8月15日輝乃月美知

終戦記念日8月15日

昨日は、終戦記念日でした。終戦記念日というと父を思います。もちろん戦火の中、生き延びた母も!

父は、20歳の時に終戦でした。父は陸軍士官学校の最後の学生59期で、終戦間際満州にいたそうです。父の教官は先を見据えて行動される方だったのだと思います。学生を連れていち早く日本に戻ってきました。

59期生は、難を逃れた。

何故か、当時のことを父に確かめたくて話していただきました。

当時20歳です。

青春真っ只中、、楽しい思い出はあるの?

「そうだなあ。それが、案外楽しいこともあったぞ」

と言っていたのが印象的でした。

父は、1954年自衛隊発足と同時に入隊しました。北海道から始まり、1.5年〜2年で異動を繰り返し、家族は一緒にいなければあかん!と、私達も異動異動の子供時代でした。

富士山の麓に富士学校があります。須走という御殿場からあがった、標高780mの地に何度もいきました。幼稚園2.小学生4,中学生3.

高校は、千葉で入学して北海道で卒業でした。

北新宿にあった都立新宿高等看護学院が唯一入学から卒業まで過ごせた学校です。

2014年、、もう父は他界していましたが、

自衛隊発足60年で、NHKで現在の自衛官にも伝えるべき言葉があると言う放送がありました。

発足した同時に、自衛官にかした言葉

「大いなる精神は静かに忍耐する」

ドイツのシラーの言葉です。

静な忍耐とは、粛々と準備していつでも、出発できるようにしておく事だ!とその教官は言っていました。

あーーあれからもう、10年が過ぎたのですね。

父の言動は、この大いなる精神は静かに忍耐する

に基づいていたんだ!と氣がつきました。

その精神で私達を育ててくださったと、感じます。

自衛官は、秘守義務→静かに、、本当に何も語らなかったなあ。と思いだします。子供の頃は、特に!何処か近寄り難く、、

自分が成長する内に、父の優しさが理解できるようになったんです。

子供の頃は、父が自衛官というだけで、大人にいじめられました。特に学校の先生。

今だと、、、一発パワハラ。ですね。

最初はわからなかった、父からいただいた

「心静かに暮らせよ」という言葉。

今は、どう生きるかわかってきました。

全うします。

私は、静かに見守っていただいた父を尊敬していますし、誇りに思います。

私が毎年、終戦記念日に改めて父に、そして戦争を乗り越えて来た方々、散ってしまった御霊に感謝いたします。

8月19日から、ほしよみ堂新宿店に出演いたします。よろしくお願いします。

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